伊豫部節子{ボーカル}
フジTV「ザ ヒットパレード」オーデションに合格。
ヒットパレードシンガーズとしてデビュー。「夜のヒットパレード」にも出演・
2年後スタジオミュージシャンのオーデションを受け
女性3人組「ムーンドロップス」のアルトパートで入団した。
主にCMやレコーディング録音。(TVの主題歌やレコード発売)
カーペンターズの日本語版LPレコードがコロンビアから発売。
CMソングの中で一番古い歌。
伊東に行くならNewハトヤ?電話はよい風呂。熱海の大野屋。
亀田のあられお煎餅。それにつけてもおやつはカール。マクドナルド。
やめられない止まらない?カッパえびせん。でんろく豆。キューピーマヨネーズ。
資生堂。セブンイレブンいい気分。ダスキンしましょう。JALパック。セイコー
お正月を写そう?富士カラーで写そう。 カメラのピッタリコニカ。
電子リコピー(リコーの社歌にもなっています)計算機のカシオミニ
高島屋のローズちゃん花の包みの高島屋。
天野昇子(ボーカル)
18歳の時にホリプロからデビュー、シンガー生活としては約50年になる。ロスアンジェルス、シカゴを経てニューヨークに在住、独特なボイスは好評を得て、リンカーンセンター、カーネギーホール、ブルーノートなどニューヨークのジャズシーンで活躍するとともにヴォイスコーチとして個人レッスンとともに、日本クラブのカルチャー講座でおしえている。
今回は、初心に戻りデビュー当時からの目標であったアメリカン・スタンダード、ブラジリアン・スタンダードを中心に選曲している。
批評/ノーマンシモンズ(ピアニスト)
ショウコ・アマノとは彼女のデビューアルバムをプロデュースして以来、30年にわたる長い付き合いになる。いちばん最初にショウコの歌を聴いたときの印象は、初めて新幹線に乗ったときの感じだった。そう、我々の知っている他の列車の乗り心地とは全く違った、スムーズで快適なものだった。
彼女のサウンドとフィーリングは彼女特有のユニークなもので、快適で違和感のないもの、そして、我々が経験した事がないものを与えてくれた。
山下徹(ピアノ・キーボード)
1979年からアメリカに移り、ロスアンジェルスで3年、シカゴに2年ののち1984年からニューヨークに在住40年めになる、ブルーノートをはじめとするマンハッタンのジャズクラブ、ライブラリー等で演奏活動をおこなってきた。
香川 裕史(ベース)
1962年和歌山県生まれ、
千葉大学モダンジャズ研究会でコントラバスを始める。 在学中より、ジャズドラマーのジョージ大塚氏に師事し、91〜96年、ジョージ大塚グループのメンバーとして活動する。 ジャズベースを中村照夫氏、クラシックを松野茂氏に師事する。
市川秀男(p) 山口真文(ts) 辛島文雄(p) 中本マリ(vo) 向井滋春(tb) 大口純一郎(p) 中村誠一(ts) 大隅寿男(ds) 吉岡秀晃(p)他、多くの一流ミュージシャンと共演を重ねる。
ノーマン・シモンズ(p)、ジェレミー・スタイグ(fl)、スコット・ハミルトン(ts)、ウォーレン・バシェ(tp)、ハリー・アレン(ts)等、海外のアーティストとも共演、
ニューヨーク・ブルーノートや、キルギス共和国、南アフリカ、台湾、ベトナム等、海外での演奏経験もある。
尊敬するミュージシャンは、ルイ・アームストロング(tp)、デューク・エリントン(p)、チャーリー・パーカー(as) ポール・チェンバース(b)等。
Swingするストレートアヘッドなジャズを信条としている。
現在、山本剛(p)トリオ、天野昇子(vo)グループ、高内春彦(g)トリオや、自己のグループで活躍中。
村田憲一郎(ドラムス)
1951年2月12日、東京生まれ。
東京歯科大卒。3歳からバイオリンを始め、
高校時代からジャズ・ドラムスを始める。
30歳で渡辺文男(ds.)に師事、多くのプロ・ミュージシャンと共演するようになる。
日本のトップ・ミュージシャンをサポートするドラマーとして、東京都内のライブハウスを中心に精力的な活動を続ける。
繊細なシンバル・レガート、シャープでナチュラルなスイング感を持ったドラミングは、多くのミュージシャンから高く評価されている。
太田寛二トリオを皮切りに、中村誠一、吉岡秀晃、大森明、寺下誠、小野リサ、大野三平、山本剛等のバンドそして、大野雄二トリオを約15年、川上さとみ、太田寛二を経て今、村田憲一郎トリオを結成。他に安保徹ユニット、鈴木道子+吉田桂一3などで現在活躍している。1997年にはリーダー・アルバム「SHIGERU−父に捧ぐー」を発表。また「Lupin The Third Jazz」シリーズなど他にも多くのCDに参加している。